ナチュラルアスカの家

もうすぐ、3月11日です。②

STORY

こんにちはアスカ工務店遠藤です。

もうすぐ3月11日です。
3月11日と言えば3.11 そうです、東日本大震災がおこった日です。

東日本大震災といえば、太平洋側の三陸沖の東北地方方面でおこった最大震度7を記録した大地震です。

建物の倒壊などの被害だけでなく、津波により多数の被害者を出し、福島第一原子力発電所の放射能漏れにより
近隣の居住者に避難を余儀なくされ、いまだに被災され方たちは元住まわれていた家に帰れずにいます。

私はこの東日本大震災に関してはいろいろ思い入れがあります。
それは、偶然がいくつか度重なって震災の5年後2016年にこの被災地に3回訪問しています。

前回1回目はクリナップというキッチンなど設備メーカーの工場見学で行きましたが、
2回目はあるセミナーがあり、この時はいわき市の小浜海岸のビジネスホテルに宿泊しました。
この地域も街が津波に襲われて海岸の町に被害が起きています。


セミナーの最終日朝早く、この地域を歩いていましたが、東日本大震災の時の津波の高さを記した電柱などもあって
その津波規模が想像できました。
この地域は再開発が進んでいるらしく、街のあちこちで工事がされていましたが、まだ人影は少なく
街全体が閑散としていたことを覚えています。

この日、時間があったこともありいわき市のその他の地域に廻ってみようと思いました。
車を走らせ福島第一原子力発電所のある福島県大熊町方面に行こうと思いましたが、ネット情報でまだ
通行止めで行けないらしいです。

その為、富岡町の福島第二原発方面に向かってみました。
当時はまだ、この地域も除染をしていたので、行けるか?どうか分かりませんでしたが、行けることろまで
行ってみようと思いました。

とにかく、現地を確認したいという思いで動きました。


途中、東北自動車道のサービスエリアでは今現在の放射能数値が示されたお知らせ看板が設置されていました。
震災から5年は経過してましたが、まだまだ原発事故後の放射能は普通の生活の中でも意識されてた時でした。

常磐自動車にお常磐富岡インターチェンジで降り、福島第二原発方面に向かいました。
途中の街々は通常そうなのか?なんとなく閑散としていたのを覚えています。
JR常磐線沿いの住宅の脇を通りましたら「除染終了」の看板がありました。
このあたりは福島第一原発からはかなり離れていますが、それでも放射能レベルは高くて除染の必要があったのかな?
と思いました。

人は誰一人いません。
時折工事の人たちが家の屋根などを直していました。

福島第二原発近くに来ましたが、ここも道が閉鎖されていました。
でもなるべく近くへ行きたくて海沿いの道に行きました。


海から福島第二原発が見えました。
近くの海岸の堤防はかなり壊れていました。これも津波のせいかな?と思いました。
海沿いの道を通りながら南下しました。人は少ないです。

道すがらおそらく除染された物を入れた袋が放置されていました。
周りが森のようなのでまだまだ作業はかかりそうです。


山沿いから海沿いの道に出ました。
このあたりでは、まだ津波の爪痕が残っていました。
お土産屋さんでしょうか?5年たっていますが、津波の被害のまんま残っていました。

地名は忘れましたが、漁村のような場所に小さなお地蔵さんがたくさん並んでいました。
もともと、何かの神様を祀っていたのか?分かりませんが、もしかしたら3.11の津波で
亡くなった方たちをここで慰めているかもしれません。

自分も車を降り、思わず手を合わせました。

今回の福島は、駆け足でしたがいろいろな現実を見て感じることが出来ました。
そんな中で自分が出来ることは?

この続きは又。