こんにちはアスカ工務店遠藤です。
今日はいつもと違った話を書こうと思います。
今日新聞を見ましたら沼津の市長選の結果が書いてありました。
自分は富士市なのでお隣の沼津市にはそんなに気にはしていないのですが、
この市長選が去年の3月に亡くなった大沼明穂市長の代わりを決めるということで
少し気になっていました。
それは大沼市長が去年、沼津高専を大学編入のため卒業した息子の卒業式に来ていただき
挨拶をされたからです。
確かその時に渡された大沼市長のプロフィールに年齢が58歳と書いてあり自分より
一つ上だなと漠然に思ったことを覚えています。
今回の市長選の結果は市議の頼重さんが当選したと書いてありましたが
市長選の争点の一つは沼津駅高架化がなっていたことは報道などで聞いていました。
高架化にするか?地下鉄にするか?など意見はありましたが、頼重さんは高架化派らしく
将来、沼津市がどのように発展していくかは興味があるところです。
今回、なぜ沼津市のことを書いているかというと、2月頃ですがたまたま沼津で会合があり
沼津の街に行った時に感じたことを自分の若い時の思い出とともに書こうと思います。
今年の2月に沼津市のリバーサイドホテルで異業種会合がありました。
会合が終わり、帰ろうと思いましたが、まだ時間が早かったので沼津の街を40年ぶりに
散策しようと思いました。
なぜ、そんな事を思ったかというと自分は高校卒業後、将来はデザイナーになりたくて大学は美大を
目指していました。(結局美大受験には失敗し、東京の専門学校に行きましたが。)
美大は一般大学とは違い、デッサンやデザインの実技試験があるためその勉強もしなければなりません。
そんな思いもあり、誰彼となく紹介してもらって入ったのが「沼津美術研究所」でした。
記憶では場所は沼津のアーケード街をずっと南に向かい139号線に出る前の雑居ビルのような一角の
2階?3階?だったような気がします。
その場所に行ってみましたがもう「沼津美術研究所」はありませんでした。
そこは倉庫のようになっていて2階に上がる階段も閉ざされていました。
ただ当時の雰囲気は残っていたような気がします。
せっかくなので沼津駅まで歩いてみようと思いました。
記憶では定かではないですが、懐かしい感じの店や食べ物屋さんが並んでいます。
ラーメン屋さんを見つけましたが、当時は「オロチョンらーめん」ではなく「チャウチャウラーメン」
だった気がします。
よく研究所の帰りに仲間と「ちゃうラー行こう」と言って食べました。
こってり系で美味しかった記憶があります。
当時からまだやっている店がありました。「桃屋」です。
フランクフルトや惣菜を売っています。
ここも研究所帰りや途中休憩、昼食などで利用していました。
安くて美味しかった記憶があります。
親子三代なのか? おばあさん、おかあさん、高校生ぐらいの娘さんが店を切り盛りしてました。
自分がここで買っていた時は今いるおばあちゃんだったと思います。
お店は、流行っていて自分がいるあいだも、ひっきりなしにお客さんが来ていて車を止めて買っている人もいました。
懐かしい味です。
アーケードに入りました。
でもここで愕然、通行している人があまりいません。
まだ、日曜日の確か2時頃。買い物客が少ないです。
八百屋さんの客引きの声が心持ち寂しく響いていました。
自分が「沼津美術研究所」に通っていた40年前はアーケード街は人を避けて歩いた
記憶があります。
途中、昭和時代のおもちゃを売っている店があり、ここは何人かのお客さんがいました。
たまたまこの日は人通りが少なかったかもしれませんが、沼津市に限らず
富士市や他の地方都市でも郊外に大型店舗が出来、人の流れが変わってしまって
今までの街の活気が減ってしまったような気がします。
少子化の影響もあるかもしれません。
今回、沼津市市長選挙の話から初め、市長選では街の活性化が焦点になり、駅の高架化の話を
しましたが、こんな現状を踏まえての市長選でもあったのか?とも思いました。
懐かしさとともに少し寂しくなった沼津散策でした。
「沼津美術研究所」はありませんでしたが、ネット検索したら2014年の「沼津ジャーナル」
の記事で研究所の事が書いてありました。
記事の中の写真では、当時の青木先生は70歳を過ぎ、白髪になられてましたが、記事からは当時のままの
絵画に対する情熱を感じました。 又、ご縁がありましたらぜひお会いしたいと思います。
当時の「沼津美術研究所」の写真が一枚残ってました。
写真は色褪せていますが、見ていると当時の記憶を鮮明に思い出します。
お土産に「桃屋」の団子を買いました。
食べると美味しさとともに40年前の記憶が巡って懐かしさを感じました。