こんにちはアスカ工務店遠藤です。
今日は2021年3月11日、10年前に岩手、宮城、福島方面に東日本大震災が発生して10年の日です。
10年前に発生した「東日本大震災」の5年後に縁あって3回訪問した福島県の事を
毎年の事ですが回想したいと思います。
2016年11月15日
この日は「JBN・全国工務店協会」の定期会合でした。
やはり会合の趣旨としては工務店の情報交換もありますが、「東日本大震災」時の福島県の今の現状や
工務店の災害時の地域との関わりついての話がありました。
総会の会場は以前にも泊まった「スパリゾートハワイアンズ」。
洗練された「フラダンス」は何回見ても楽しく、飽きませんね。
次の日は会場を変えて福島の現状の解説をしてくれました。
楢葉町コミュニティセンターでは地元の産業界の方々が当時の津波の様子や原発事故の地元への
影響などリアルに詳しく話してくれました。
もし、同じことが自分の住んでいる静岡県で発生した場合を想定してもどうなるのか?
とても想像がつきません。
講演の後は国道6号線を北上し実際の被災地を案内してくれました。
そこには当時は5年前でしたが、津波の被害を受けた住宅やアパート、倉庫などが当時のままになっていました。
住宅が一軒ありましたが、津波で内部は跡形もなくさらわれています。
津波は来るまでに住民の方の避難は間に合ったのでしょうか?
ここの見学が終わるとバスツアーの以外の人は解散になりました。
自分は前回同様、車で来ていたのでここから静岡に帰る事も出来ましたが、まだまだ現状を確認したいと思い
丁度バスも北上したので後ろへ付いて自分も6号線を北上しました。
現在もかな?放射線汚染による帰還困難地域の大熊町、双葉町、浪江町を進みました。
帰還困難地域に入ると国道沿いの家の前には立ち入る事が出来ないようにスライド式のシャッターが設置されていました。
これは、留守宅への侵入防止でしょうか?
通りのお店は全て閉鎖。歩いている人はだれもいません。
バスと別れ常磐道双葉インターチェンジから静岡に戻る為に南下しました。
しばらく走ってから常磐自動車道をいわき四倉インターから降り前回、前々回行った塩屋崎灯台方面に行きました。
(なぜか?最後はここなんだよね?)
そしてお決まりの薄磯海岸から豊間海岸を走ると全区間ではないですが4か月前に重機が整地していた海岸線が
きれいに完成していました。
これは5年前だし一部だとは思いますが、思わず心の中で「すごいなー」と叫んでしまいました。
この2016年の3回のふくしま行きは自分にとっては家の耐震の重要性への大きな考え方の転機になりました。
当社の「家を建てるならまずは耐震と断熱」はこれからもお客様にお伝えしていこうと思います。