3.11②-2

STORY

こんにちはアスカ工務店遠藤です。

今日は昨日の続きを。

10年前に発生した「東日本大震災」の5年後に縁あって3回訪問した福島県の事を
毎年の事ですが回想したいと思います。

2016年5月25日

この日は耐震セミナーに参加しましたが一日だけだったので二日目は「東日本大震災」の今の現状を知りたく
福島県を北上することにしました。

ただ北上と言っても何を目的にしょうかと考えました。
その時すぐ思ったことは「福島第一原子力発電所」。

ただ当時発電所の周りは放射能濃度が高く、帰還困難地域に指定されていて近寄れないのではないかと思いました。
でも考えていてもしょうがないのでとくかく行ってみる事にしました。
通行止めなら帰ればいいと。

当時の自分の行動の記憶は忘れていますが、地図を見返してみると常磐自動車道をの大熊インターまで
北上したと思います。

そこから出て福島第一原子力発電所は太平洋に向かえばあります。

高速道路もそうでしたが途中の道路でもパトカーとよくすれ違いました。
当時やはりまだ、原発事故から5年経っていますが避難された方たちが家に帰れない状態なので
防犯などの見回りはかかせないのでしょうか?

福島第一原子力発電所に近くなりましたが、はやりそこからは通行止めで監視員が道を塞いでいました。

どうしょうか?と思いましたが、海側に行けばそこからもしかしたら望めるかもと思い海岸側に廻ってみました。
山道を通ると道端には汚染土の袋でしょうか?処分が間に合わないのか?たくさん置いてありました。

海側に出て見ると遠くに福島第一原子力発電所が見えました。
でもこのあたりの堤防は津波でかなり傷んでいました。

大熊町を海沿いに走りました。このあたりは工事業者以外、人がまったくいませんでした。
ある一軒の家の横を通りましたら除染完了の看板が。

これから少しずつ人が戻れればと思いました。

海沿いの道を富岡町に向かいました。
途中「津波浸水区間」の看板が立っていました。周辺では土地のかさ上げの工事が進んでいました。
嵩上げしたら住民の方が移り住むのでしょうか?頭の中をいろいろグルグル思いが回ります。

海岸に出るとおそらく今回の津波対策用かと思いますが、新しい堤防が出来ています。
そのすぐ横には津波の被害にあったお店でしょうか?
当時5年は経っていましたが、まだそのままの状態で放置されていました。

海沿いを走り続け、ある漁師村に入りました。波打ち際にお堂があり、お地蔵さんが祀ってあります。
そしてその前にはたくさんの小さなお地蔵さんが。

その数の多さといい、まだそんなに古くないので、もしかしたら津波で亡くなった方たちを祀つられていたのかもしれません。自分の勝手な想像ですが。

車から降り、近くで手を合わさせていただきました。
だれか地元の方がいらっしゃれば、お話を聞きたかったですが残念ながらだれもいません。

ここから薄磯海岸を通り前回来た塩屋崎灯台に向かいました。
このあたりも津波の被害にあったらしく海岸ではブルドーザーなど重機で整地をしていました。

ネットで薄磯海水浴場と検索すると被害前のきれいな海が出てきました。海水浴イベントもたくさん出てきます。
5年前の当時は様変わりしてしまいましたが、今はもう前のきれいな海岸通りになっていますよね。

いろいろ頭がぐるぐる考えさせられた福島道中でした。