こんにちはアスカ工務店遠藤です。
昨日の続きを少し、書こうと思います。
8月20日21日と木耐協の夏季セミナーに行きました。
セミナーは泊りでしたが、2日目はお昼ごろには終わりました。
セミナーが終わり、後は帰るだけでしたが、せっかく熱海に来てそのまま帰るのも
もったいない気がしたので、前の日も伊豆山神社に行ったのでどこか旧跡や神社やお寺などを廻ろうと思いました。
スマホでネット検索すると気になるお寺が出てきました。 興亜観音です。
日清戦争や大東亜戦争の戦没者が祭ってあると書いてありましたが、それよりも気になったのは
大東亜戦争での敗戦後、連合国がポツダム宣言に基づき行った東京裁判で死刑判決が出た当時のA級戦犯の方を
そのお寺で祭ってあるという事でした。
大東亜戦争やA級戦犯というと、どうも靖国神社を連想しますが、離れた熱海に祭ってあると知って
とても興味が湧き、私は歴史にも興味があるのでぜひ行こうと思いました。
車で湯河原方面に走りました。
グーグルマップをあてにし走っていると国道からいきなり山道に案内されました。
山道をしばらく走ると行き止まりがお寺の駐車場です。
そこからしばらく山の山道を歩きました。正直言って今の時期、暑くて大変でした。
まず、目についたのは一般の家です。
後で分かったのはその家が住職さんの居宅だったことです。
住職さんの家を過ぎ山道を歩いていると後から住職さんが追いかけてきます。
今日は参拝はお休みでそのお知らせかな?と思いましたら住職さんに
「参拝ですか?」
と聞かれたので
「そうです」
というと
「それはそれは、ようこそいらっしゃいました。ご案内させていただきます。」
といわれ、まずは興亜観音の前で、そのいわれから歴史などを滔々と語られました。
その語り口が、まるでお経を読んでいるような語り口で、気持ちまで神妙になったことを覚えています。
その後、東京裁判で死刑判決を受けた方々の慰霊碑に案内されてそこでもお線香を上げ、説明をしていただきました。
後、本堂に通していただき、そこでお線香をあげさせていただきご住職にお経を上げていただきました。
この本堂で、祭られているのは、やはり東京裁判で死刑判決を受けたB級戦犯の陸軍大将だった「松井石根」です。
松井大将のお写真やコートなどが飾ってありました。
今回、帰ってからネットでいろいろ松井大将について調べましたが松井大将は若い時は日露戦争に従事し、日中戦争では
南京戦に従事されていたようです。
そもそも、この興亜観音は日中戦争における日中双方の犠牲者を弔う為に「松井石根」が建立されたらしいくその後も
自ら庵を建ててそこに住み込み、毎朝観音経をあげていたらしいです。
後、もう一つ驚いたことは、住職さんがおっしゃってましたが、東京裁判の時、一人無罪判決をしてくれたインドのパール判事が東京裁判後、しばらくして、この興亜観音にお参りに来られたそうです。本堂の中にパール判事の写真が飾られていました。
いろいろな驚きの中、住職さんに見送られながら興亜観音を後にしました。
まだまだ自分が知らない日本の近代歴史があるんだな、と実感させられた体験でした。