ナチュラルアスカの家

東日本大震災を振り返る2 (2016.5月)

STORY

こんにちはアスカ工務店遠藤です。

2016年二回目の福島県いわき市は建材メーカーのセミナーで行きました。

電車で行ったほうが楽だし、早いし、飲めるしと思いましたが、一度震災に合った場所を
自分の足で確かめたいという思いもあり車で行くことにしました。
確か片道静岡からだと5~6時間ぐらいかかったような気がします。

まずは東名高速道路から首都高へ、そして常磐自動車道へ、平日だったこともあり
そんなに渋滞もなく進みました。

東京へはたまに車で行くこともあるので東京までの景色には慣れてましたが常磐自動車道へはいると
関東平野の広さも感じることが出来、東海道とは違った風景に気分も上々でした。

筑波を通っている時、当時息子が大学受験で筑波大学も受ける予定だったので
「もし、受かったら遠くて引越が大変だな。」と余計なことも考えてました。
結局、筑波には行かず東京の大学になりましたが。

本当に快調にドライブは続き茨城県から福島県にはいりインターでい言えばいわき湯本を越え
確か次のパーキングエリアの湯ノ岳で休憩した時2011年に震災にあった福島県に来たと
実感した事がありました。

それはパーキングエリアの中に放射線を測定している観測所があったことです。
この先の南相馬までの放射線状況を知らせていました。
意味もなく緊張してしまい、数字の内容が分からないまま窓をあまり開けないようにしました。

建材会社のセミナーもいわき市内で無事終わり小浜のビジネスホテルで一泊しました。
小浜の町を朝早く散歩してみることにしました。

ちょうど前回クリナップの工場見学で行ったいわき観光物産の「いわき・ら・ら・ミュウ」
の近くだったので港に向かって歩きました。
このあたりは津波の被害にあったためか港に近くなるにつれ新しく区画整理していたり
道路工事している所が多かったです。

途中の電柱に地面から2mちょっとの所に震災の津波の後が記されていました。
この高さだと小浜市の中にかなり津波は広がっただろうと思います。

セミナーは昨日完了してるので今日は朝から自由時間です。
ホテルを出る時、どこにいこうかは決めてなかったので、思いつくままに福島第一原発に行くことにしました。
おそらく原発までは近づけないと思うので行ける所までは行こうと思いました。

常磐自動車道に入り広野インターで降りました。
広野町から楢葉町、大熊町を通り双葉町入りました。
いつも震災関連の新聞やテレビに出てくる町名をとおり、なんとなく緊張したことを覚えています。
車の往来が急にすくなくなり不安もありました。

もしかしたら進入禁止に入っていて警察官に止められ職務質問にあうかもしれないと思いビクビクしましたが
パトカーとは頻繁にすれ違いましたが、幸い止められることはありませんでした。
始めてきた場所でしたが震災の影響か、町や村のような所は人が少ないというか、いなかったです。

福島第一原発にはさすがに通行止めで入れませんでした。
ガードマンが道を塞いでいました。

そのため双葉町から海沿いに南下しようと思いました。
もしかしたら福島第一原発を海から見ることが出来ると思ったからです。

途中人気のない民家を何件も見ました。
大工さんなのか?屋根の修理をしています。
民家の前に除染完了という看板が出ていました。
このあたりは帰還困難地域だと思います。地震で壊れたまんまの家もありました。

海沿いに出てみると、遠くに福島第一原発を見ることが出来ました。
海岸沿いは防波堤がかなり傷んでいます。これも津波のせいかもしれません。

やはり海沿いに車を走らせ富岡町に入りました。
峠の場所でおそらく除染された土や葉っぱでしょうか?黒い袋が並んでいました。

富岡町も人影は工事関係の人以外なく閑散としています。
地震では壊れていませんが、さっきまで人が住んでいたような気配の家もありました。
震災後取るものもとりあえず避難されたのでしょうか?

駅名は忘れましたが、無人の駅がありました。
この区間のJR常磐線は止まったままだと聞いています。

やっと原発による帰還支持地域などを後にし一般国道を走りました。
途中どこか忘れましたが、津波が押し寄せたラインを記した看板がありました。
その奥では大量のテトラポット(波消しブロックが造られていました。)

海沿いにドライブインでしょうか?
津波の被害に合われた建物がありました。
中は被災した当時のままだと思います。

どこか?場所は忘れましたが、陸前浜街道6号線から海のすぐ入った海沿いの道でお地蔵さんが
たくさん並んでいる海の洞穴がありました。

少し大きめな観音様の前に大小様々なお地蔵さんが並んでいます。
これはもともと海の安全祈願などで置いてあるのか?それとも2011年の震災時に津波で亡くなった
方たちを弔っているのか分かりませんが、その佇まいに触れて思わず近づいて拝みました。

この2016年5月の福島県への訪問はたった一泊でしたが、たくさん震災の現実を感じることができました。
2018年の3月11日テレビでもいろいろな福島に限らず震災の爪痕や亡くなったご家族への
思いが伝えられていましたが、まだまだたくさんあまり人に触れられない
震災の被害があるのだと実感しました。

2016年11月のいわき市訪問は又別の思いがありました。